15期史跡巡りクラブのR5年度総会が実施されました     R6年4月16日 木曽路大宮店にて 参加人数17名


令和5年度を締めくくる総会は部長挨拶でスタート。昨年はコロナ禍の影響が残り「久喜地区文化財散歩」・「両国周辺歴史散策」・「杉戸宿を歩く」の3回の活動にとどまりました。R6年度の部員数は20名となりました。ピーク時には55名が在籍し「日本橋」に行ったときには38名が活動参加し、旗を立てて歩いていたころに比べると寂しくなりましたね。総会の報告文書には当初「部員減少・・」の文言が4か所もあったことは部長の残念な心情を吐露しているところです。(1か所に訂正してもらいました)。部長からは今年度も楽しい企画を立てるので「元気にクラブ活動をやっと行きましょうと」と締めくくり総会議事は手短に「シャンシャンシャン!」と出席者全員の賛同のうちに終了しました。議事終了後は宴会部長の「乾杯!」の美声で懇親会開始。今年は役員の皆がズッコケて今は伝説となった「問題発言?」も飛び出さずに賑やかに楽しい時間を過ごしました。本年度も役員一同は頭を絞って楽しい企画を考えるので部員の皆様のお知恵を頂けると大変ありがたいです。今年も「わいわいがやがや」楽しく活動しましょう。    次回の予定: 5月16日㈭ 順延予備日5月21日㈫ エントリー締め切り日 5月6日

       「彰義隊ゆかりの地を歩く」 ボランティアガイドさんが付きます

第26回史跡巡りクラブ「日光街道杉戸宿を歩く」実施報告開催日:2024年2月13日㈫ 参加人数 13名   天 候:晴れ 気温:16℃ 微風           散策行程 略3.5㌔ 2時間30分


日光街道の宿場を訪れるのは、起点の日本橋、草加宿、越谷宿、粕壁宿に続き五か所目になります。東武動物公園駅(旧杉戸駅)に10時前に現地集合完了。今回の散策には「杉戸宿案内人の会」のボランティアガイドさんに5名も帯同頂きました。ガイドさんとは駅から徒歩10分程の「流灯ふれあい館」で合流予定でしたが途中の古利根川を渡る橋の袂までお出迎え頂きビックリ、楽しい街道巡りを十分に予感させました。日光街道は古利根川に沿って続いていますが河を境界にして宮代町と杉戸に分かれていて東武動物公園駅(旧杉戸駅)の住所は宮代町である事を知りました。杉戸宿は小さな宿場ではありますが、研鑽が伺えるボランティアガイドの軽妙な解説で、「宿場の成り立ち、構成、地元の歴史」にふれる訪問となりました。

散策行程(記載省略あり)

香取山東福寺 初代町役場 明治時代初期の埼玉東部地域の自由民権運動の拠点

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高札場(復元)幕府の掟書きやお達しが木札に墨書き復元されていて時代背景が伺われて面白い

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近津神社 清地村の鎮守 顔を背ける珍しい狛犬 いわれは聞き逃した

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杉戸キリスト教会  明治18年プロテスタント教会として県内2番目に古い

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神明神社      杉戸宿の鎮守

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伊奈稲荷神社    通称「問屋場神社」鰐口には女人20名の名前が刻印

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渡辺金物店     元金物店で個人住宅拝見 可愛い吾子一人 外壁は「ささらこ下見」の防災仕様

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杉戸山宝性院    幸手城主一色義直が開山 毬を抱える獅子がお堂を守る

          馬頭観音の石像は日光街道一の大きさ

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富士浅間神社    富士塚の高さは5メートル 芭蕉の句碑

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愛宕神社      神仏分離令前は宝性院の別当寺 火災に耐えた樹齢数百年の大銀杏は圧巻

 

 

第25回史跡巡りクラブ「両国駅周辺の歴史散策」実施報告実施日:2023年11月7日㈫ 参加人数15名    天候:雨のち晴れ 気温:25℃ 風力:1m       散策行程略4㌔ 2時間

【行程】両国駅→すみだ北斎美術館→野見宿祢神社(相撲の神様)→勝海舟生誕地跡(両国公園)→吉良邸跡地(本所松坂町公園)→相撲写真資料館→回向院→相撲博物館(国技館)→両国江戸のれん館(旧駅舎)

当日の早朝は暴風雨まがいの悪天候でしたが我らの日頃の行いがよろしく活動開始時間頃には晴れ間ものぞくまでお天気は回復しました。両国と言えば何をイメージしますか?歴史舞台に登場するものがいろいろあります。隅田川(大川)と両国橋、お相撲に回向院(鼠小僧次郎吉、振袖火事犠牲者供養、力塚)、偉人の生誕地(勝海舟に葛飾北斎)赤穂浪士討ち入り本所吉良邸跡と歴史好きにはたまらまい場所です。もちろん町内には沢山の相撲部屋まあります。そしてちゃんこ料理店も。

 

すみだ北斎美術館では北斎が晩年まで創作活動をした浮世絵・版画・滑稽本に触れる事が出来ました。まさに欧州を席巻した「ジャポニズム」に触れられます。迫力ある北斎と娘お栄さんのアンドロイドはリアリティー十分でした。欧州に北斎の存在を知らしめたのは当時日本の輸出品であった陶磁器の緩衝材として使われた紙くずに北斎筆の滑稽本がありそれが驚きの目に留まり一気に北斎画が欧州に「ジャポニズム」ブームを起こしたそうです。(しらんけど)いまだに外国人に人気があるみたいで旅行者が沢山来館していました。

両国国技館の相撲博物館を拝観して今回の散策は終了。旧両国駅舎に戻りちゃんこ茶屋霧島とお蕎麦屋さんに分散して無事解散しました。

第24回史跡巡りクラブ「久喜地区文化財散歩」実施報告   実施日:2023年5月16日㈫ 参加人数14名    天候:晴れ 気温:25℃ 風:ほぼ無風

散歩行程 略3.5㌔ 2時間

久喜駅西口☞中島敦案内板☞寒梅酒造☞那賀嶋撫山碑☞榎本屋母屋☞和装工房さいとう☞武州郷菓田中屋☞

塩あんびん)☞御陣山(米津氏陣屋跡)☞天王院・八雲神社☞光明寺(どら縄)☞甘棠院・五輪塔(かんとういん・足利政氏館跡)☞久喜駅12時30分頃散会 ☞お決まり「サイゼリヤ久喜店」でランチ

 

久喜市は2010年に「久喜」「栗橋」「菖蒲」「鷲宮」の4地区が合併して現在の久喜市となりました。当日は久喜市観光ボランティアガイド協会の方がなんと7名もアテンドしてくれました。2班に分かれて散策スタートしましたが途中の田中屋の「塩あんびん」で買い物渋滞となり天王院では合流状態に。ボランティアの方々の丁寧なガイド振りに感謝、感謝。途中、通りかかりの自転車のおじさんが「ガイド」を始めるハプニングがありましたがこれが散歩のいいところ。ボランティアガイド達は拝察するところ部員達よりは先輩の皆さまのようで「我々も頑張らねば!」と元気を頂きました。

駅から徒歩数分のところに作り酒屋「寒梅酒造」があります。現在規模は縮小されていますが若手「杜氏」が伝統を守る創業文政4年(1821年)の老舗です。ここで部員から鋭い質問が、「寒梅は新潟の越乃寒梅と関係はあるの?」調べたら新潟の越乃寒梅は創業が明治40年との事で圧倒的に久喜が古い。昔は「越後杜氏」が当酒蔵の杜氏をしていたとの事です。また、「寒梅」の称号の由来は漢詩の一説「魁春開喜中」にあり、「雪中に咲く寒梅は万花の先駆け」の意で酒造りに先進的に取り組む意味合いみたいです。「・・寒梅」の称号は各地にあるようです。久喜の寒梅酒造、知らなかったなー今度飲んでみよう

 

 

「郷土菓・田中屋」さんは老夫婦が営む和菓子屋さん。午前中からドヤドヤと部員たちが押し寄せて陳列品をほとんど買占めソールドアウトとなりました。ごめんなさい。塩あんびんは一言でいうと「甘くない大福」。久喜・加須地区で農作業のおやつに出された郷土菓子です。最近、グルメ番組等TVで度々紹介されるのでちょっとした人気商品だそうです。

「米津氏陣屋跡」 「久喜藩」ってあったんだ!知りませんでした、てっきり天領とばかり思っていましたが米津氏が寛政10年(1798年)に出羽長瀞に移封されるまで1万5千石の大名として115年間にわたり陣屋を構えていたが、今は明治17頃作成の調査資料に米津播磨守陣屋略図にその痕跡を残すのみです。

光明寺のどら縄

古い地域のしきたりで、新年正月最初の大安の日に新しい「しめ縄」を薬師堂に飾り付け、一年の健康を祈る行事が江戸時代から現在も続いているそうです。お寺さんに「しめ縄」は今では珍しいですが神仏習合に関係しているのでしょう。

「甘棠院の五輪塔・空堀・ねこ」 臨済宗円覚寺派の名刹 

普段は閉門されていて境内には入れないそうですがボランティアガイドさんのお手配により参拝することが出来ました。お寺は「古河公方足利政氏」が古河から久喜に移り住み隠遁生活をおくった館跡。隠遁後も関東管領の山内上杉家や扇谷上杉家との勢力争いは続いたみたいで周囲には土塁や空堀が巡らされているのがみられます。寺には古河公方としての数多くの文化財が伝わっているそうでその多くは県立博物館に寄贈寄託されているそうです。

 

史跡巡りクラブの令和4年度総会が実施されました。   実施日:2023年4月18日 木曽路にて

第23回史跡巡りクラブ「中山道・桶川宿」歩く 実施報告実施日:2023年2月14日㈫ 参加人数18名           天候 晴れ 気温10℃ 風力 帽子が飛ぶほど

散策行程 略3㎞ 2時間

桶川駅→浄土宗浄念寺(室町時代創建・職人と太子講)→武村旅館(国登録有形文化財)→下木戸(宿場出入口)→島村老茶舗(国登録有形文化財)→島村家三階建て土蔵(お助け蔵)→矢部家・小林家(市指定文化財・国登録有形文化財)→稲荷神社(日本一の大盤石)→曹洞宗大雲寺(1557年開山 女郎買い地蔵)→宿場館(桶川市観光協会)→桶川駅12時10分散会→サイゼリヤ桶川でランチ

 

埼玉県内の中山道には九つの宿場がありますが、我が史跡巡りクラブでは大宮・熊谷・蕨に続き四っ目の宿場町訪問です。今回は「桶川市ガイドボランティア」さん4名の方に出迎えられて3班編成でゆったり、楽しく巡る事が出来ました。桶川宿は思った以上に見どころ満載の街で、1キロほどの中山道沿いに宿場の歴史を彷彿させる風景が点在していました。街道沿いには本陣・脇本陣・大小36軒ほどの旅籠があったそうで加賀前田家や皇女和宮が宿泊した記録があります。宿場は「紅花」や近郊の農産物の集積地として栄え、商人が財をなした面影が「土蔵」「建物」「稲荷神社」等に見ることが出来ます。「紅花」は山形が有名ですが桶川「紅花」のルーツも山形で、お江戸小間物問屋「柳谷」(ポマードの)から山形紅花の種子を譲り受けた記録があるそうです。桶川の土にあったのでしょう、「早もの紅花」として売れたそうです。

矢部家・島村家・小林家・武村旅館と街道沿いに現存する古民家には懐かしさがあり軒先の「電話19番」の表示には昭和初期の商家の繁栄が偲ばれます。電話が有るお宅は裕福だった時代を思い出しました。

曹洞宗大雲寺には「女郎買い地蔵」と言われ、背中に「くさび」が打ち込まれている地蔵尊があります。

これは、夜な夜な飯盛り女の処に通う坊主がいると噂になり、悪評に困った住職は毎晩出歩く若い「修行僧」を突き止め「修行僧」の身代わりに地蔵を繋ぎ留めて悪評を抑え込んだとの説が有力みたいです。勿論「若い修行僧」は改心して修行に励んだに違いないと想像します。「稲荷神社」は近郷の総鎮守で境内には財力を誇った紅花商人が寄進した「石灯籠」や「日本一の大盤石」があります。毎年7月14日、15日には「桶川祇園祭」が開催され山車が繰り出し大変賑わうそうです。昨年はコロナ禍で中止されたそうですが今年開催の際にはぜひ一度訪れたいものです。ボランティアガイドさんの素晴らしい案内でJRの時刻表通りみたいに定刻にバラバラ行動の三班が終了地点に合流はお見事でした。いただいた「紅花の種」を大切に育てて6~7月の開花時期に紅花に出会うのが今から楽しみです。

これまでの15期史跡巡りクラブの活動記録を掲載しました。コロナ禍で活動自粛が続いていましたが昨年後半から活動を再開してきました。慎重さをもっての「日常生活」を取り戻す小さな試みは始まっています。感染予防対策と自己管理を徹底してこれからも好奇心を満たす史跡巡りクラブ活動を元気に続けていきましょう。

第22回史跡巡りクラブが松戸市「戸定邸」を訪問    実施日11月29日天候曇り時々晴れのち雨 気温20,6度


15期史跡巡りクラブは「普通の生活」を取り戻すべく当日検温とセルフチェツク、感染防止策を徹底して初冬を感じる水戸街道松戸宿の散策に出かけました。いつもの現地集合で松戸駅西口10時集合で幹事が到着した時には部員の大半がなんと集合済でした。幹事の怠慢に叱責を覚悟しましたが寛容な部員の皆様からのお小言は一切なく感謝!感謝!で史跡巡りはスタートです。 参加者19名

散策ルート:松戸駅☞松戸神社 秋葉神社☞浄土宗松龍寺(すくも観音)☞「戸定歴史館」☞「戸定邸」☞

      「戸定邸庭園」散策☞サイゼリヤ松戸店ランチ☞13時頃に解散

 

「戸定邸」は11代水戸藩主の徳川昭武(15代将軍慶喜の実弟)が明治維新の時代に過ごした私邸です

大名屋敷の形式を残し唯一現存する建物です。また、その「徳川昭武庭園」は幕末にフランス留学した経験を生かし昭武がこだわりぬき、建物・庭園・景観を一体化した庭園で国指定名勝です。昨年の大河ドラマの「晴天を衝け」でもご存知のように昭武欧州留学中に兄の徳川慶喜が大政奉還を行い江戸幕府時代は終焉を迎えました。激動の時代を過ごした昭武は写真を趣味として多くの画像を後世に残し伝えてくれました。


訪問日にはまだ紅葉が色濃く残り黄金色の大銀杏 深紅のもみじ 芝生の緑が織りなすコントラストは見事なものでした。感性豊かで芸術センス豊かな皆様は色とりどりの落ち葉拾いに夢中で、きっと素晴らしい押し花やしおりが誕生している事でしょう。(しらんけど) 今回の訪問地は古写真と現存建物から近世の歴史をののまま肌身で感じる事が出来る歴史散歩となりました。


第21回史跡巡りクラブ開催 日光街道「越谷宿」散策報告


部活動再始動の第一弾は前回訪問の中山道蕨宿から日光街道「越谷宿」へと足を向けました。部員の方が言っていましたが史跡巡りクラブでなければ決して歩かない道筋や場所を訪れるのが面白い。

好期幸齢者」を自負する15期史跡巡りクラブの仲間たちは元気に歴史に触れる散歩を楽しみました。

実施日2022年9月27日㈫ 天候 晴れ 気温28℃ 参加者 11名

散策行程 北越谷駅☞香取神社(彫刻がgood)☞久伊豆神社(御朱印)☞浄土宗天獄寺(タヌキ出没)☞御殿跡☞旧日光街道宿場通り☞ガーヤちゃん蔵屋敷☞ガスト昼食(猫型配膳ロボに遭遇)☞越谷駅 解散


香取神社の奥殿には見事な彫刻群ありました。時は1866年(156年前慶應2年薩長同盟・15代慶喜就任)の時代で長谷川竹次郎(浅草山谷町)の作品で越谷の地場産業だった紺屋の労働風景を表現した彫刻群は一見の価値があります。以前当クラブが訪れた国宝妻沼聖天山の彫刻が中国の故事に由来した作品でしたが、こちらは何とも親しみのある題材で見入ってしまいました。きっと日光東照宮に多くの足跡を残した

「左甚五郎」の技を伝承する職人(筆者の推測)が当時の原風景を後世に伝える意気込みで彫り込んでいる姿が目に浮かびました。現代の姿を未来に伝える風景は何がよいでしょう?


北越谷駅から越谷駅まで約4㌔の散歩でした。駅前のガストで昼食。初めて猫型配膳ロボットに遭遇して驚いたり、タブレット注文にまごついたりまだまだ社会勉強することはあることを自覚して昼食後に無事解散となりました。

第20回15期史跡巡りクラブ 「蕨宿」散策報告

今年の1月にコロナ禍感染防止対策上中止された「松戸市戸定邸」訪問計画以来の活動再開リベンジで、実に2年6か月ぶりの郊外活動です。当日は感染予防策として「5項目の事前チェツク」「集合時の体温測定」「マスク着用」を徹底して定刻の10時には22名が元気に集合しました。コロナ禍での自粛生活が続き、気が付けば思考は内向きで何事にも萎縮ぎみとなっていましたが、仲間との再会で笑顔に満ちた楽しい時間のスタートです。

訪問地は中山道 「蕨宿」 5月24日㈫ 天候 晴れ 気温24℃ 絶好の散歩日和

散策行程

蕨駅西口 ⇒蕨城跡(成年式碑)⇒和楽備神社 ⇒三学院 ⇒蕨宿本陣跡 ⇒歴史民俗資料館 ⇒

歴史民俗資料館分館 ⇒蕨駅で解散 全2時間30分

和楽備神社は室町時代の足利一門渋川氏の蕨城の守り神として創建され、明治44年に近在18社の神社を合祀して現在の「和楽備神社」となったそうです。

「蕨宿」は天保14年(1843年)の記録では人口2223人、430軒で中山道沿いに本陣2軒と脇本陣1軒があり、江戸入府前後に利用される宿場として賑わいました。近代では「成人式」発祥の街として知られています。昭和21年の戦後混乱期に蕨の青年団が、虚脱感におそわれていた若者を元気つけようと「成年式」を挙行してこれが全国に一挙に広まったそうです。現在でも蕨市では「成年式」として実施されていると聞きます。我々シニア世代も元気つけられた気がします。

三学院(金亀山極楽寺)は、真言宗智山派(空海さん)の足立坂東観音霊場20番札所。

玄奘三蔵法師の霊骨が祀られる由緒あるお寺さんです。なぜ三蔵法師の霊骨が三学院に?それは昭和17年に南京駐屯の日本陸軍が三蔵法師の石棺を発見して、当時の中国国民政府から日本に分骨されたそうです。

芝増上寺 奈良薬師寺 岩槻慈恩寺 台湾玄奘寺にも三学院から分骨されています。

美しい境内で「目疾地蔵」「仏舎利塔」など今でも地域で信仰されていて訪れた日にも地蔵守をしている二人の大先輩シニアに出会い、色々な云われを聴くことが出来ました。水盤に鎮座する黄金の像は「亀」ではなく「龍」だと説明され誰かさんは「えーどう見ても?・・・」。

三学院から旧中山道沿いに歩き、途中で幹事想定外の寄り道が発生。和菓子や「船橋や」さんのお店のおばさんもビックリ。でもエネルギー切れ寸前にいただいたお団子は最高に美味しかった。その先、本陣跡、歴史民俗資料館 分館へと進みました。再開の足慣らしとして2時間30分の軽めの行程で予定の12時30分に無事に解散となり、それぞれ分散してランチで締めました。 次はどこかな?

第15期史跡巡りクラブの活動再開のお知らせ

新型コロナ禍で2020年度の「史跡巡りクラブ」の活動が一切中断されていました。長引くwithコロナの時代においてどの様な活動が可能かを模索してきましたが、この度三密回避、ソーシャルディスタンスを意識しての座学講座から活動を再開するはこびになりました。なお安全な講座開催には皆様の前2週間の体調管理が大切となりますので協力よろしくお願いします。皆様のふるっての参加をお願いします。


 

第20回史跡巡りクラブ 歴史講座開催「さいたま市内の神社について~式内社を中心に」

12月9日㈬「のびのびプラザ」に於いてさいたま市立博物館学芸員磨田顕寛氏を講師に迎え出前講座が開催されました。コロナ禍で活動中止が続く中、今年初めての部活動となりました。参加者には事前に前2週間の感染防止チェツクを依頼。当日は消毒、検温、換気、ソーシャルディスタンス確保の感染防止策を徹底しての講座開設となりましたが久しぶりの再会に笑顔が溢れました。幹事の皆様お疲れさまでした。

講義の内容はやや専門的でしたが興味惹かれるポイントが随所にあり面白いものでした。恥ずかしながら神社の称号に「式内社」が付く、付かないの違いが持つ意味は全く知らず、気にも留めたことがありませんでした。この講座で初めて「そうゆう事か!」と初めて認識した次第です。簡単に言うと「式内社」とは神社の格付けに関わる大切な呼称なのです。平安時代中期の「延喜式神名帳」に記載された神社は全国で2861社、武蔵国足立郡では4社、うちさいたま市内3社と考えられるそうです。「延喜式神名帳」に記載されているという事は時の権力者「国家」が「神威と歴史」を認めた社格を有しているそうです。

さいたま市内の3社は、「足立神社・西区飯田」「調神社・浦和区岸町」「氷川神社・大宮区高鼻町」

「氷川女體神社・緑区宮本」「中山神社・見沼区中川」のうちの3社らしいが筆者は残念ですがたまたま聞き逃しました。神社は永い歴史の中で合祀・分離を繰り返している事もあり定説にたどり着くのは難しいところが面白い。知りたい方はぜひご自分で探求してみて下さい。

 

 

第18回史跡巡りクラブ 「川口の産業史と歴史の息吹」を訪ねて

実施日 11月22日(金) 天候 雨 気温10度 参加人員 28名

創部以来2度目の雨天での史跡巡りとなりましたが部員諸兄はそのぐらいの事ことではめげません。予定通りに川口駅に集合し元気に出発しました。最初の移動は路線バスでしたがラッキーな事に貸し切り状態で5分ほどで大正ロマンの雰囲気が残る「旧田中家住宅」に到着。味噌製造と材木商で富を築いた地元資産家の私的迎賓館に使用されていたとのガイドさんの説明を聞きながら拝観。驚くほどいい状態で保存管理されており、当時の県南の経財界、政治の舞台が展開されたことが偲ばれました。天気が良ければメジロやおながの野鳥が遊ぶ回遊式庭園をゆっくり散策できたのですが雨で残念でした。次に向かったのは関東八十八ケ所霊場の第七十六番目の「錫杖寺」。徳川2代将軍秀忠が日光参拝時に休息所と定めて以来徳川家との関わりがあり、「葵の門」が随所に見られます。色ずく境内に木々を眺めながらゆっくり散策したかったのですが雨足は強くなり記念写真も本堂の軒をお借りしてご覧の通り。次の目的地は「川口市文化財センター」。

鋳物の歴史館では時代の花形商品だった石炭ストーブやキュウポラの変遷の歴史をガイドさんから説明を受けました。溶解炉に空気を送り込む「ふいご」を踏む職人さんを「番子・ばんこ」と呼ぶそうで「変わりばんこ」の語源との解説に皆さん「へーそうなんだ」と肯きました。広辞苑では「番子」とは「下役・番人・人従」とありました。川口では知らなかった歴史にも出会いました。幕末に長州藩が英仏連合艦隊に敗れた下関事件(馬関戦争)で使用した大砲は川口の鋳物師が製造したものだそうです。その大砲は戦利品として奪われパリの軍事博物館に現存しているそうです。その鋳物師の子孫(増幸産業)がパリに出向き実寸を採取した複製品を今も続く会社の敷地内に展示公開しており、教科書には出てない産業史の一幕に出会いました。東京オリンピックの聖火台は有名ですが鋳物産業は歴史の時々に登場しています。国の有形登録文化財の「鍋平別邸」「川口神社」へと足を進め川口駅東口にて到着、解散となりました。

 

 

第17回史跡巡りクラブ「王子界隈」散策の実施報告

9月22日㈮ 晴れ 気温27.3度 参加人員23名

王子駅に今回は23名の部員が定刻に集合。いつも予定通りで幹事さんは助かります。今回の王子周辺は普段はあまり訪れることのないところです。そう云う所を責めるのが15期史跡巡りクラブのいいところです。(自画自賛)最初の訪問地は「名主の滝公園」、江戸時代の名主畑野家の居住地跡だそうで大きな回遊式庭園があります。名前の通り「名主の滝」が見どころ・・・のはずが、なんと滝は流れておらず小川の流れも渇水状態で幹事さんは焦り顔で部員は苦笑い。引き上げようとしたところ公園の管理者とおぼしきお姉さんが登場して「これから水を流しますから・・」というとアッという間に見事な滝の流れが出現して風景は一変した。これには皆さん大盛り上がりで幹事さんも笑顔が戻り、記憶に残る訪問地となりました。

次の訪問地は開運パワースポットとして、また落語「王子の狐」で知られる王子稲荷神社では「お石様」を抱えて願い事の成就を祈願。次に向かった「お札と切手の博物館」では1億円の重さをしっかり確認しました。最後の訪問地は飛鳥山公園・飛鳥山博物館です。JRの車内からいつも見て通る小さなモノレール「アスカルゴ」に一度は乗りたかったのがやっと体験した方も多かったみたいです。こんなところにインバウンド効果で車内が写真の通りでした。今回も道を間違えてり、大爆笑ハプニングありで記憶に残る史跡巡りで楽しい史跡めぐりとなりました。次回の「川口市街散策」も見どころたくさんですよ。

 

2019年夏 暑気払い実施報告 

第16回史跡巡り「お茶の水・湯島」散策実施報告

  実施日令和元年5月29日㈬ 曇り 気温25.1度 参加人数 31名

15期史跡クラブのイベントは現地集合が基本で、今回はJRお茶の水駅聖橋口にAM10時30分に集合。

いつも通り遅刻者もなく・・ではなく広報担当者が大幅遅刻するものの定刻通りに都心での史跡巡りはスタートしました。

散策コース(所要時間略3時間半)

湯島聖堂(昌平坂額学問所)☛神田明神☛湯島天神

☛折り紙会館☛お茶の水地名発祥の地☛ニコライ堂

 

湯島聖堂(創建329年)は江戸幕府五代将軍綱吉が上野忍ケ丘より現在地に移設再建。立派な孔子像と面影を残す昌平坂の地形が儒学を学ぶ江戸時代の若者達の姿を想起させます。粋な神田祭を終えた後の静かな神田明神で御朱印長を頂戴しました。境内からはスカイツリーが望め、下町情緒を感じる境内と近代構造物の取り合わせが面白い。湯島天神さんから「折り紙会館」へと歩みを進めると折り紙界では世界的に著名な小林館長の解説実演が拝見できました。折り紙は海外でも人気上昇中で外国の方も大勢見学に来ていました。「ニコライ堂」は1923年の関東大震災で倒壊した後に6年の歳月をかけて復興した国内有数のビザンチン様式の建築物です。午後には内部を拝観できます。解説案内がありましたが聴力の衰えか、解説者の声量不足か判りませんがほとんど理解できなかったのは残念でしたが一見の価値は十分でした。


吉崎部長による総会開催のご挨拶では、「15期史跡巡りクラブ」は部員の皆様に喜んでもらえ、且つ無理のない部活動を今後も続けていく旨の方針説明と、発生した会計余剰金は総会時に出席者に還元するする事で余計な繰越金の発生を極力抑える旨の説明があり総会出席者全員の賛成により了承されました。続いて、創部以来ご活躍いただいた竹井さんの退部報告と後任の秋山博さんのBグループ長兼監事への就任が報告され承認されました。総会終了後の懇親会では全員に景品がいきわたる大くじ引き大会で大いに盛り上がり楽しいひと時を過ごしました。「15期史跡巡りクラブ」は、これからも訪れる街や史跡巡りを通じて地域の成り立ちと時代をしのび歴史に触れる活動を続けていきます。

 

 

第15回史跡巡りクラブ「日光道中・粕壁宿散策」実施報告

実施日:平成31年2月21日㈭ 参加者26名 天候 晴れ 気温12.1度 歩行距離3.7㌔

 


第15回史跡巡りクラブの訪問地は隣町の春日部です。少し冷たい風が吹きましたが好天で2月にしてはまずまずの天気。春日部駅東口に参加者26名は遅刻者もなく集合完了です。駅前で今回お世話いただいた「かすかべ案内人の会」のボランティアガイドさん5名と合流して散策はスタートしました。隣町でありながら訪れる機会は少なく、筆者の予備知識は恥ずかしいぐらい浅い。日光道中で日本橋から4番目の宿場、そして桐ダンスや麦わら帽子の製造業、羽子板の産地として知られていますが最近のイメージは「クレヨンしんちゃん」と話題の「大塚家具」程度。最初に「春日部郷土資料館」で粕壁宿の大きなジオラマで学芸員の方の解説を聴いて街道筋のイメージを掴んでからの散策スタートとなりました。地名が南北朝時代の「春日部」から糟ケ邊→糟壁→粕壁と変遷し、現在の「春日部」になったのは昭和19年の内牧村との町村合併時だったと初めて知りました。八坂神社☛東陽寺(芭蕉ゆかりの地)☛国立薬草園跡☛天然記念物イヌグス☛道標☛商家蔵☛高札場跡☛上喜蔵河岸跡☛景勝院☛米問屋☛山中観音堂を巡りましたが当時の痕跡をわずかに残すばかりでボランティアガイドさんの説明と案内資料が無ければ宿場の面影は少ない。しかしながら古利根川沿いを歩き、古隅田川の水運を利用した江戸への舟運の歴史を知り、街道の本陣跡、道しるべ、今も商う米問屋、商家土蔵を巡るうちに周辺物資の集積地、街道、舟運の輸送路としての重要な位置を占めたことを学ぶと日光道中を人々が行き交う賑やかな時代が偲ばれる粕壁宿散策でした。

 

 

第14回史跡巡りクラブ「都電荒川線で史跡散策」実施報告

11月19日(月) 都電荒川線沿線の天候 曇り 最高気温16℃

都内唯一残っている都電「荒川線王寺駅」に9時30分30名は遅刻者もなく集合。いつもながらお見事。

今回は都電一日乗車券(400円)で王子から早稲田方面の史跡巡りです。一両編成なので全員乗車は他のお客さんに迷惑になるので二班に分かれての行動でした。最初の目的地は10番目の停留所「都電雑司ヶ谷」へ。雑司ヶ谷霊園にはそこに眠る著名人の墓所マップがあり永井荷風・夏目漱石・竹下夢二・泉鏡花・小泉八雲等の文人のお墓を探し回りましたが、さて何軒分かったかな?。次の目的地は都の西北早稲田大学へ。大隈庭園では紅葉が見頃でそれは見事な景観、演劇博物館では普段ご縁が少ない自分にとっては日本演劇界のダイナミズムに触れることが出来ました。次の目的地は「穴八幡神社」で思っていたより大きくて立派なお社でした。神社の入り口交差点にあった蕎麦屋「三朝庵」は「かつ丼」発祥のお店として有名でしたが残念ですが廃業したのは一抹の寂しさがあります。「都電庚申塚」から徒歩で巣鴨地蔵通り商店街をゆらりと一路「巣鴨とげぬき地蔵・高岩寺」へ。「おばあちゃんの原宿」で有名な地蔵通りは4のつく日は「縁日」で大変な賑わいになります。名物は元気になる「赤パンツ」と元祖「塩だいふく」。「赤パンツ」は気恥ずかしいのか買う方はみませんでしたが「塩だいふく」は人気だったみたいです。都内に唯一残る都電で下町を巡る楽しい一日でした。さて、次はどこかな?


「国宝・妻沼聖天山と熊谷宿プチ散策」実施報告

9月7日(金)熊谷地方の天候 曇り 最高気温28.2度

熊谷駅に集合時間10時には遅刻者もなく参加者30名全員が集合。出発前にはお決まりのお探し物タイムもありましたが一行は路線バスをほぼ貸し切り状態にしてワイワイガヤガヤと国宝「妻沼聖天山」へ。ここではボランティア「阿うんの会」のガイドさんの上手で解りやすい解説を聞きながら国宝歓喜院聖天堂を拝観できました。当地(妻沼)の庄司であった斎藤別当実盛公により建久(1197年)開創、以来歓喜院は庶民.農民により大切にされてきた由来や、源氏・平家の戦が続く時代での実盛公の生き様も初めて知りました。想像していたより至近距離で観れる壁面を飾る精緻で色彩豊かな彫刻の数々に息をのみ、それは見事で日光の陽明門に勝るとも劣らずで必見の価値ありです。昼食は境内にある和食「あか石」で名物「聖天いなり」をパクリ、デザートには熊谷スイーツで人気のかき氷「雪くま」は美味し。昼食後は街中に戻り、片倉シルク館を見学です。そこではボランティアガイド「くまがい探偵団」が5名もの気合の入ったお出迎えには恐縮です。次に一行は2班に分かれてガイドさんに促され熊谷宿本陣竹井家ゆかりの名勝「星渓園」を訪問して回遊式庭園を散策しました。最後の行程は「星渓園」を湧水を水源とする星川沿いに点在する彫刻群を鑑賞しながら熊谷駅を目指しました。熊谷は太平戦争の終戦前日に空襲に襲われ星川沿いで多くの方が犠牲になられたそうで「戦災慰霊の女神像」では合掌。15時過ぎには全員無事に解散地熊谷駅に到着。全行程13000歩程の県北の妻沼・熊谷の歴史に触れた熊谷宿プチ散歩でした。次回は11月19日予定。詳細は未定